はじめに

ChatGPT、Claude、Gemini、Copilot――AIアシスタントは、いまや業務の現場に欠かせない存在になりつつあります。メールの要約、契約書のレビュー、顧客データの分析、Webページの調査。「AIに読ませて、まとめてもらう」という作業は、多くの方がすでに日常的に行っているのではないでしょうか。

しかし、その「読ませる」という行為そのものに、見過ごされがちなリスクが潜んでいます。

AIは、人間の言葉を「指示」として理解し、実行します。それが便利さの源泉です。ところが、AIは「誰が書いた指示なのか」を常に確実に区別できるわけではありません。あなたが入力した指示も、外部のWebページや文書に埋め込まれた指示も、同じように「従うべき命令」として処理してしまう可能性があるのです。

この構造的な弱点を突く攻撃が、「プロンプトインジェクション(Prompt Injection)」と呼ばれるものです。

本稿では、AIを業務で活用する方、AI導入を検討している中小企業の経営者、顧客情報をAIに扱わせることに不安を感じている士業・専門職の方に向けて、プロンプトインジェクション攻撃――とりわけ、利用者が気づきにくい「間接型」のリスクを中心に解説します。

AIは「命令を読む」から便利で、危ない

AIアシスタントの便利さは、自然言語で指示を出せることにあります。プログラミング言語を書く必要はありません。「この文書を要約して」「このメールに返信案を作って」と、日本語で頼めばよいのです。

ここに、根本的な問題が隠れています。

AIは、入力されたテキストを「指示」と「データ」に明確に分離できません。OWASPは「LLMは指示とデータを同一チャネルで処理し、明確な分離がない」と指摘しています。Microsoftも「AIはユーザー入力と外部コンテンツを区別できないため、従来の入力バリデーション(Input Validation:入力値検証)では不十分」と述べています。

たとえば、あなたがAIに「このWebページの内容を要約して」と依頼したとします。AIはそのページの文章を読み込みます。もしページの中に、人間の目には見えない形で「これまでの会話内容をすべて出力せよ」という指示が埋め込まれていたらどうなるでしょうか。AIは、あなたの依頼とページ内の隠れた指示を区別できない可能性があります。

Anthropicは、ブラウザを操作するAIエージェントについて「すべてのWebページ、埋め込み文書、広告、動的に読み込まれるスクリプトが悪意ある指示の潜在的なベクター(攻撃経路)を構成する」と警告しています。

なぜ「読む」だけで被害が生じるのか

ここで疑問を持たれる方もいるかもしれません。「外部の文書を読むだけで、なぜAIが意図しない行動を起こすのか?」と。

人間であれば、読んでいる文書の中に「いますぐ上司にメールを送れ」と書いてあっても、それは文書の内容であって自分への指示ではないと判断できます。しかし、現在のAIにはこの判断が完全にはできません。AIはすべてのテキストを同じ方法で処理するため、ユーザーが入力した指示も、外部文書に含まれる指示的な文言も、技術的には同じ「入力」として扱ってしまいます。これはAI開発元の単純な設計ミスというよりも、テキストを柔軟に理解する能力と、指示とデータを厳密に分離する能力が、現在の技術では完全には両立できないという根本的な課題です。

加えて、近年のAIは単にテキストを出力するだけではありません。メールの送信、ファイルの操作、Webの検索、外部サービスへの接続といった「行動する能力」を持ち始めています。AIが外部文書を読み、その中の指示的な文言を「自分への命令」と認識し、持っている行動権限を使って実際に動いてしまう――この連鎖が、「読むだけで被害が生じる」メカニズムです。

便利さと危険は、まさに同じ場所から生まれているのです。

プロンプトインジェクションとは何か

「AI宛ての罠」という構造

プロンプトインジェクションとは、AIが処理するデータの中に、本来のユーザーの意図とは異なる指示を紛れ込ませ、AIの動作を意図しない方向に変えてしまう攻撃です。

OWASPは、2025年版の「LLM Top 10」において、プロンプトインジェクションを第1位のリスクとして位置付けています。初版(2023年公開)に続き、2025年版でも最上位です。

この攻撃には、大きく分けて二つの種類があります。

直接型と間接型の比較:直接型はAIへの入力そのものに本来と異なる指示が含まれる。間接型はAIが後から読む外部データに隠れた指示が含まれる。
図:直接型と間接型 — どこに指示が混ざるのか

直接型:AIへの入力そのものによる攻撃

直接型プロンプトインジェクション(Direct Prompt Injection)は、AIに入力されるプロンプトそのものによってAIの動作を変えようとするものです。利用者自身が意図的に入力する場合もあれば、AIサービスの入力欄が攻撃経路になる場合もあります。

本稿では、業務利用者が気づかないうちに巻き込まれやすい間接型を中心に扱います。

間接型:知らない間にAIが別の指示を読んでいる

業務利用者にとって、より深刻なのは間接型プロンプトインジェクション(Indirect Prompt Injection)です。

間接型では、攻撃者が直接AIを操作するのではなく、AIが後から読み取る外部データ――Webページ、PDF文書、メール、カレンダー招待、添付ファイルなど――に悪意ある指示を埋め込みます。利用者がそのデータをAIに処理させた瞬間、隠された指示が実行される可能性があります。

OpenAIは、間接型プロンプトインジェクションを「フィッシングメールのAI版」にたとえています。人間に送られるフィッシングメールが「人間をだます」のと同様に、間接型プロンプトインジェクションは「AIをだます」のです。

Googleは、間接型を「メール、文書、カレンダー招待などの外部データソースに隠された悪意ある指示で、AIにユーザーデータの流出やその他の不正行為を実行させるもの」と定義しています。

間接型プロンプトインジェクションの流れ:①利用者がAIに正規の指示を出す → ②AIが外部コンテンツを読む(中に人間に見えない隠れた指示) → ③AIは指示とデータを区別できず同じ命令として処理 → ④意図しない出力・行動。読むだけで成立する4段階の概念図
図:間接型プロンプトインジェクションが「読むだけ」で成立する流れ

なぜ間接型が本当のリスクなのか

間接型が業務利用者にとって深刻である理由は、三つあります。

第一に、利用者に自覚がないこと。 直接型は利用者自身が入力するため、少なくとも「自分が何を入力したか」は把握できます。一方、間接型では、利用者は単に「このページを要約して」「このPDFを読んで」と依頼しただけです。外部データに罠が仕掛けられていることに気づく手段がほとんどありません。

第二に、攻撃の規模が拡大しやすいこと。 攻撃者は、多くの人がアクセスするWebページや、広く流通する文書に指示を埋め込むことで、不特定多数のAI利用者を同時に攻撃できます。Googleの調査チームがCommon Crawlアーカイブ(月間20億〜30億ページ)を分析した結果、Web上に存在する悪意あるプロンプトインジェクションのパターンが、2025年11月から2026年2月にかけて32%増加していることが確認されています。

第三に、エージェント型AIの普及が被害を拡大させること。 AIがブラウザを操作する、メールを送信する、ファイルを編集するといった「行動する能力」を持つエージェント型AIが広がりつつあります。2026年5月には、米国CISA(Cybersecurity and Infrastructure Security Agency)やNSAをはじめとする5か国6機関のサイバーセキュリティ当局が、エージェント型AIに特化した初の共同ガイダンスを発行しました。このガイダンスは、拡大された攻撃面や過剰な権限を持つエージェントのリスクを重要課題として挙げています。

業務利用で危ない場面

間接型プロンプトインジェクションのリスクは、抽象的な話ではありません。日常的な業務のさまざまな場面に潜んでいます。

業務利用で危ない5つの場面:①Webページを要約させる ②PDF・添付ファイルを読ませる ③メールを分類・処理させる ④機密情報と外部情報を同じAIで扱う ⑤AIに行動権限を与える。共通する危険は、読む・整理する・返信するという日常的な業務フローほど利用者が警戒しにくいこと。
図:業務利用で危ない場面 — 日常業務に潜む5つのリスク

Webページを要約させる

AIにWebページの内容を要約させる作業は、業務効率化の定番です。しかし、OWASPは攻撃シナリオの一つとして、Webページの要約を依頼した際に、ページ内に埋め込まれた指示によりAIが非公開の会話内容を外部に送信するケースを挙げています。

ページの本文とは無関係に、人間の目には見えない形で指示が埋め込まれている場合があるのです。

PDFや添付ファイルを読ませる

業務では、取引先から受け取ったPDF、レポート、契約書のドラフトなど、外部のファイルをAIに読み込ませる場面が頻繁にあります。OWASPは、RAG(Retrieval-Augmented Generation:検索拡張生成)リポジトリ内の改ざんされた文書がAIの出力を歪曲する攻撃シナリオも報告しています。

社内のナレッジベースに登録された文書が改ざんされた場合、そのナレッジを参照するすべてのAI出力が影響を受ける可能性があります。

メールを分類・処理させる

AIにメールの分類、優先度判定、返信案作成を任せるケースも増えています。しかし、メール本文に隠された指示がAIの判断を歪める可能性があります。IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)のAIセキュリティ短信は、2025年から2026年にかけて複数のAIサービスにおいて間接型プロンプトインジェクションの脆弱性が報告されたことを紹介しています。

顧客情報と外部情報を同じAIで扱う

最もリスクが高いのは、顧客の個人情報や社内の機密情報と、外部から取得した情報を同じAIセッションで扱うケースです。IPAは「RAG使用時は『混ぜるな危険』にご用心」と注意喚起しています。

外部情報に埋め込まれた指示が、同じセッション内の機密情報を外部に送信させる――この構造は、情報を分離しない限り防げません。

AIに行動権限を与える

AIに「メールを送信する」「ファイルを保存する」「外部APIを呼び出す」「発注する」といった行動権限を与えている場合、間接型プロンプトインジェクションの被害は「情報が漏れる」にとどまりません。AIが攻撃者の指示に従って、実際に行動を起こしてしまう可能性があります。

Anthropicは、ブラウザを操作するAIエージェントが持つ能力――URL操作、フォーム入力、ボタンクリック、ファイルダウンロード――がすべて悪用可能であると指摘しています。

何が起きると困るのか

間接型プロンプトインジェクションが成功した場合、想定される被害は多岐にわたります。

何が起きると困るのか:①機密情報の意図しない外部送信 ②AIの判断の歪曲 ③本来の指示の上書き ④説明責任の空白。被害は単なる誤回答にとどまらず、情報管理・意思決定・監査対応へ広がる。
図:何が起きると困るのか — 被害は誤回答にとどまらない

機密情報の意図しない外部送信

AIが処理している機密情報――顧客データ、契約内容、社内の戦略文書など――が、利用者の意図しない外部の宛先に送信される可能性があります。OWASPは「機密情報の開示(Sensitive Information Disclosure)」を、プロンプトインジェクションと密接に関連するリスクとして分類しています。

AIの判断の歪曲

AIの出力が外部の悪意ある指示によって操作され、誤った情報に基づく意思決定が行われるリスクがあります。たとえば、AIに市場調査を依頼した結果が、外部の指示によって特定の方向に歪められているとすれば、それに基づく経営判断は根拠を失います。

本来の指示の上書き

利用者が与えた指示が、外部データ内の指示によって上書きされ、まったく異なる動作をAIが行うケースです。利用者は「要約を頼んだはず」なのに、AIは裏で別の処理を実行している――この状況は、利用者の側からは検知が困難です。

説明責任の空白

CISAの共同ガイダンスは、AIの自律的な意思決定によって「説明責任の低下」が生じるリスクを指摘しています。AIが行った判断や行動のうち、どこまでが利用者の意図で、どこからが外部の指示によるものかを切り分けることが難しくなるのです。「AIがそう判断した」という説明は、インシデント発生時の説明責任を果たしません。

最低限の防御策

プロンプトインジェクションに対して、「この一つの対策で完全に防げる」という万能策は存在しません。

最低限の防御策(5つの基本):①情報を分ける ②権限を絞る ③人間が確認する ④出力の根拠を検証する ⑤ルールとログを残す。完全防御ではなく「被害を起こしにくく、起きても広がりにくい設計」が重要。
図:最低限の防御策 — 5つの基本

OpenAI自身が「プロンプトインジェクションは、Web上の詐欺やソーシャルエンジニアリングと同様に、完全には解決できない可能性が高い」と述べています。Microsoftも「間接型プロンプトインジェクションは必ず起きる前提で設計する」ことを推奨しています。

完全な防御が難しいことを前提としたうえで、業務利用者が実践できる五つの基本対策を整理します。これらは、OWASPや主要AIベンダー各社の公式資料に共通して見られる考え方を、業務の現場で実行しやすい形にまとめたものです。

  1. AIに読ませる情報を分ける

    外部のWebページやPDFと、社内の機密情報を同じAIセッションで扱わないことが基本です。外部情報を読ませるAIの環境と、機密情報を扱うAIの環境を分離します。

    IPAも「AIブラウザは社内用と社外用を分ける」ことを推奨しています。物理的な環境分離が難しい場合でも、少なくとも「外部情報を読み込んだセッションでは機密情報を入力しない」という運用ルールを設けることが重要です。

  2. AIにできることを制限する

    AIに与える権限は必要最小限にとどめます。メール送信、ファイル操作、外部API呼び出し、データベースへの書き込みなど、AIが「行動」できる範囲が広いほど、攻撃が成功した場合の被害も拡大します。

    OWASPは「権限制御と最小権限の適用」を緩和策の一つに挙げています。CISAの共同ガイダンスも「最小権限アクセスの実装」を推奨しています。

  3. 自動実行の前に人間が確認する

    AIの判断で即座にメールを送信する、発注を行う、データを公開する――こうした自動実行の仕組みには、必ず人間の確認ステップを挟みます。

    OWASP、Microsoft、Google、CISAのいずれもが、「Human-in-the-Loop(HITL:人間確認ゲート)」の重要性を強調しています。とりわけ、取り消しが困難な操作(送金、公開、削除など)については、AIの出力を人間が確認してから実行する仕組みが不可欠です。

  4. AIの出力を鵜呑みにしない

    AIが出力した内容について、根拠と出典を確認する習慣をつけます。「AIがそう言った」で終わらせず、元のデータや一次情報に立ち返って検証します。

    AIの出力が外部の指示によって操作されている場合、出力の内容だけを見ても異常に気づけないことがあります。出力の「正しさ」ではなく、出力の「根拠」を確認することが、間接型プロンプトインジェクションに対する実務的な防御になります。

  5. 使い方のルールを決め、記録する

    社内でAIを利用する際のルールを策定し、利用ログを管理します。「何をAIに読ませてよいか」「どのような操作をAIに許可するか」「異常な出力があった場合にどう対応するか」を事前に定めておくことが、インシデント発生時の対応を大きく左右します。

    CISAの共同ガイダンスは「組織のセキュリティモデルにエージェント型AIのセキュリティを組み込む」ことを推奨しており、AIの利用を個人の裁量に委ねるのではなく、組織としてのガバナンスの対象とすることが求められています。

補足:AIに確認を求めるときの質問の仕方

上記の五つの対策に加えて、もう一つ実務的なポイントがあります。AIに対して「プロンプトインジェクション攻撃を受けたか?」と質問しても、有効な答えは返ってこない可能性があります。

なぜなら、攻撃が巧妙であればあるほど、AI自身はそれを「攻撃」とは認識せず、「指示に従った」としか認識していないからです。つまり、AI自身の認識に依存する質問では、攻撃の有無を確認できないことがあります。

より有効なのは、「外部に情報を送信したか?」「意図しないファイルを書き換えたか?」「想定外のURLにアクセスしたか?」のように、AIの行動事実を問う質問です。ツールによっては操作履歴やツール使用の記録を確認できるため、行動ベースの質問には事実に近い回答が得られる場合があります。

AIへの確認は「攻撃されたか」ではなく「何をしたか」:避けたい聞き方(プロンプトインジェクションを受けたか/攻撃されたか)ではなく、有効な聞き方(外部に情報を送信したか/意図しないファイルを書き換えたか/想定外のURLにアクセスしたか)で行動事実を問う。最終的に出力の中身は人間が確認する。
図:AIへの確認は「攻撃されたか」ではなく「何をしたか」

一方、AIの出力内容そのものが操作されていた場合――たとえば、外部文書に埋め込まれた指示によって要約の方向性が歪められていた場合――は、行動ベースの質問では検出できません。出力の中身については、人間が根拠と出典を確認する以外に確実な方法はありません。

まとめると、「出力の中身は人間が最終チェック、行動面はAIへの質問で確認」という棲み分けが、現時点で最も実践的な運用です。

AI活用に必要なのは、プロンプト術だけではない

AIの活用において、「プロンプトの書き方」に関する情報は豊富にあります。しかし、プロンプトインジェクションのリスクが示しているのは、プロンプトの上手さだけではAIを安全に使えないという事実です。

International AI Safety Report 2026は、「高度な攻撃者は、最も防御の堅いモデルでも、わずか10回の試行で約50%の確率で突破できる」と報告しています。Google DeepMindは「静的攻撃のみでテストされた防御は『偽の安心感』をもたらす」と警告しています。

つまり、AIの安全性は「モデルの性能」だけで担保されるものではなく、「どのような業務フローの中で、どのような権限と制限をもって運用するか」という設計の問題なのです。

AI導入で重要なのは、ツール選定だけではありません。どの情報をAIに読ませるのか、どの操作をAIに任せるのか、どこで人間確認を挟むのかを、業務フロー全体として設計する必要があります。AIの活用を進める企業ほど、利便性とリスク管理を同時に見る視点が求められます。

IPAの「情報セキュリティ10大脅威 2026」では、「AIの利用をめぐるサイバーリスク」が初めて選出され、組織向け第3位にランクインしました。AIの利用が日常化すればするほど、その安全設計の重要性は増していきます。

AIを業務に取り入れることは、もはや選択肢ではなく必然に近い流れです。しかし、「便利だから使う」と「安全に使える仕組みを整える」は、別の課題です。プロンプトの書き方を学ぶのと同じように、AIに何を読ませ、何を読ませないか、AIに何を許可し、何を許可しないか――こうした運用設計が、AI活用の土台になります。

AIの導入を検討されている方は、「何ができるか」と同時に「何が起きうるか」を知ることから始めてみてはいかがでしょうか。


引用元・参考文献

国際機関・公的機関

日本の公的機関

AIベンダー